よっぺま(@yoppema)です。
好きなブロガーさんの記事を見た結果、久々に電撃が走って感動したので「人生つまんねーよ」って思ったときの自分のために残しておきます。あくまで自分のためです。
結論を先に書いておくと、
思い出せ、お前の人生はつまらなくねーし、人生楽しいはずだよ。忘れるな。
そして、
人生に意味なんてないのだから好きにしろ、楽しく生きればいいんだ。
よく考えろ、
好きなことに費やす時間に、意味もクソもないから、頭を空っぽにしてみろ。
頭を空っぽにできなければ、深呼吸を繰り返せ。
そして楽しいことをするんだ、約束だぞ。
タイトルは煽りです。釣られたお前が悪い。つまんねー人生送ってるからだ。こら。
悲しいことに思い切り釣られてしまったのですが、自分の場合、「人生つまんない、何物にもなれなかった」病を定期的に発症するので、きっとつまんねー人生を送っているのでしょう。いや違うよ、違うはずなのだけど。
なぜ定期的に発症するの?
自分の場合、基本的に寝不足で疲れが溜まっているときに、ときどき発症します。寝不足で疲れているせいで何もやる気が起きなくなると、「人生つまんない」、「趣味がない」、「何物にもなれなかったよ」と思ってしまい、そのまま数日が経過します。そして、そのうち元に戻ります、寝れば。
いつから発症したの?
たぶん6歳くらいから「人生つまんない」って思った気がします。上記の記事にもあるけど、比較的、合理的に人生を考えるせいなのは間違いないでしょう。
例えば、コンビニや今は絶滅危惧種の駄菓子屋、公園などで学校の友人やクラスメイトと遊ぶ際、何もしないってことが発生することがありますわね。だべるわけでもなく、ただダラダラするっていう。あの時間がどうにもダメでした。
だべるならだべりたいし、鬼ごっこするなら鬼ごっこしたいわけですわ。でも、ダラダラするなら家でダラダラしたいわけですわ、そっちの方が快適じゃん。
また、何も決まらず、何も進まず、何も変わらず、っていう状況は好きじゃありませんでした。で、これは性分なのでもうどうしようもないわけですわ。この性格は今でも変わっていない気がします、仕事で何も決まらないみたいな事象は多いですが「お前ら金もらっているんだから、ちっとは決めれ、仕事しろ」とか思うわけですわね。
発症するとどうなるの?
人生がつまらなく感じます。最悪、生きるのが嫌になります。
でも、発症しても気にしなくてもいいんじゃないの?
その通りです。人生がつまらなかろうが、つまらなくなかろうが、人生に意味がないので好きにすればいいだけです。
そして、合理的に生きたいのなら、そもそも人生がつまらないとか思っている時点で合理的じゃないわけです。なので、色々矛盾しているわけです。そうだぞ、お前は矛盾しているのだぞ、よっぺま。
で、いつから酷くなったの?
ここからが本題で、自分のためにまとめるわけですが。
別に学生時代から大した人生は送っていないんですけど、そこそこ元気で、そこそこ稼いで、結婚して子供も生まれていて、マンションと車を買ったので、そこそこ幸せなわけです。人生つまらんなんて思う必要はないわけです。
ただ、定期的に症状が発生する。
思うに、20代に仕事ばかりを必死にし過ぎた反動なんですよね。30代に入るまでにめちゃくちゃ仕事して、たくさん仕事を覚えて成果を出したのは良かったのですが、好きな遊びをあまりやらなかったせいで、仕事以外のことをすっかり忘れてしまったのがよろしくなかった。
本来は、テレビゲームも、小説を読むのも、美術館や博物館に行くのも、スポーツ観戦に行くのも、プラモデルを作るのも、写真を撮るのも、温泉に入るのも、映画を見るのも、音楽を聴くのも、大好きだったのに、仕事が忙し過ぎてちょっと離れてしまった。あと子供が生まれて、自分の時間を取れなくなってしまった。
その結果、子供たちが少し大きくなって、付きっ切りで見ていなくてもよくなったのに、自分の遊び方を忘れてしまった。仕事の影響で合理的に考えるせいか、自分の遊びにさえ実利があるかどうか、意味があるかどうかを気にするようになってしまった。そのせいで、子供たちは遊んでいるのに、自分だけなぜか遊べなくなってしまった。だから、「人生つまんない」って思うようになってしまったんでしょう、と自己分析します。
また、30歳を過ぎて少し出世して、くだらないと感じる管理作業・調整業務ばかりになってしまって、楽しかったはずの現場仕事から遠ざかったせいで、余計「人生つまんない」って感じるようになってしまったものと思われます。もっと、出世や高給を目指して真剣に働けばよいのかもしれませんが、ふと我に返るとそれに興味がない自分がいるわけです。だから、仕事もつまんない、とか思うわけですね。思った以上に給与が増えるわけでもないですしね。
ただ、よくよく考えてみると、
大学生だったときに貪るように読んだミステリ小説やプロ野球の記録集に意味があったのか?
密室殺人事件のトリックや、イチローの打率、松井秀喜のホームラン数を覚えたことに意味があったのか?
耳に残るほど聞いたブリットポップやシューゲイザーのロックアルバムに意味があったのか?
足繫く通った印書派の絵画展を開催する美術館に意味があったのか?
たぶん、意味はないよね。
意味はないけど、楽しかったよね。なんでだかは知らんけど。
だから、それでいいんじゃないの? 知らんけど。
楽しいことをしよう
なので、人生楽しく生きるために、よく寝て、よく食べて、いっぱい歩いて、自分が楽しいことをしましょう。
そこに意味があるとかどうか、考える必要はないのです。
人生、楽しんだもの勝ちです。
ちなみに、何物かになりたいの?
たぶん、なりたいわけじゃなくて、「意味があることをするなら、何物かになれるはず」っていう思考回路な気がします。
勝手にそう思って、でもなれないと思って、それでショックを受けるっていうパターンだろうと、自己分析します。あと、チヤホヤされて承認欲求を満たされたいんだろうと思います。
家でパパやっているだけで、十分パパにはなったので、まぁいいんじゃないかな。もっとすげーパパは世の中にはいるんでしょうけど、自分の子供たちのパパは自分だけだし、別に他人と比べるものじゃないですからね。
まとめ
というわけで、思い切り釣られたわけですが、自分の思いを記事にまとめられたので良かったです。
今後、自分が「人生つまんない」って思ったら、この記事を読み直します。
というわけで、本日はそんなところです。