はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
よっぺま(@yoppema)です。
上記のお題が面白そうだったので、過去を捨て去る意味で書いておきます。
平凡な人生ながら30代も折り返しを迎えると、「記憶に残っているあの日」というのは幾つかあります。
でも結局、強烈に記憶に残っているのは結婚したときと、第一子が生まれたとき、第二子が生まれたとき、マンションを買って引っ越したとき、車を買ったときなど、自分の愛する家族と共有したイベントになっている気がします。
正直、昔の細かいときを忘れ始めているというのもあるし、子供が生まれたときの印象が強烈過ぎるというのもあるでしょう。それほど嬉しかったんだろうなと思います。あと、家族ができた以上、自分だけの記憶っていうものは少なくなっているせいでしょう。
そんなわけで、今回の記事に書くなら結婚するより前、自分が一人だったときのことを書き捨てておこうかと思います。それは、19歳の終わりと20歳の始まりの頃だと思います。
あのときは生きたくなかった
自分の場合、おじさんになると、生きることや死ぬことといったことで悩む頻度が減ってきました。良くも悪くも細かいことを気にすることもなくなったし、毎日仕事は忙しいし、もう若くないし、結婚して、生まれた子供は順調に育って生意気な口を利くようになってきているし、太ってきたしで、余計なことを考えなくなってきているからでしょう。
ただ、15年以上前は違ったわけです。あの頃は19歳から20歳になるころで、単なる若者で、1人で、才能も自信もなく、やりたいこともなく、将来に悲観し、とにかく生きたくなかった記憶があります。昼夜逆転の生活で、彼女もおらず、友人も少なく、楽しいこともなく、大学もつまらなく、バイトも辞め、毎日音楽と漫画、小説とゲームに浸って、目標もなく生きていたわけです。どう考えても、大したことがない大学生でした。
死にたい、というよりも生きたくない、ということを強く強く思っていました。サラリーマンになりたくないし、かといって大学卒業してからやりたいこともないし、でも自分の手でお金を稼ぐ必要があるのは理解しているけど何もしたくない、とずっと思っていました。「なんで自分は生まれてきてしまったのだろう、なんで人に誇れる才能も情熱もやりたいことも何もないんだろう」なんて思いながら、何もしないで生きていました。
今の自分が見たら「モラトリアム期ですね、しょうがないですね、とりあえず死なない程度に生きていればいいさ」って声をかけてから、思いっ切り蹴っ飛ばすんじゃないかなと思いますが、当時は若かったからしょうがないよね。
あと、別におじさんになっても、そんなに変わってはいない気がしています。結局のところ働きたくないし、美味い飯を食べるのが幸せだけど代謝が低下していてすぐ太るし、でも筋トレとか有酸素運動とか積極的に動きたくないし、とか思いながら毎日働いて散歩して生きているので。
19歳から20歳になって生きる重みを知った
で、そんな生きたくない日々を過ごしていた19歳が、たしか20歳の誕生日を迎える前日に、発作的に生きるのを止めようと決意したわけです。今じゃ笑えるけど、カーテンレールにビニール紐で首を吊ろうかと考えたわけです。間違いなく、体重の重みで生きることを止めることはできないでしょうね。
試しにやってみると、ビニール紐が首に絞まってきて当然苦しいわけです。そのとき「こんな思いをしてまで死ぬのはやめよう、生きたくないけど生きた方がいいな」と思ったので、そのまま何も至らず発作は終わりました。
たしか「月曜日になったら週刊少年ジャンプが読めるな」と思ったことも覚えています。ジャンプに救われた命といっても過言ではないです。
そんな無様な状態で20歳を迎えたんだと記憶しています。
そして、そのときに強く悟ったわけです。
「あぁ、自分は20年もこの世で生きてきてしまったんだと。」
20歳をどう思うか人によると思うのですけど、自分にとってはそれはそれは非常に重みがありました。人生で胸を張って他人に話せることがない平凡な人間でしたが、「なんだかんだで20年も生きてきた」ということは、確固たる存在証明でした。「何もやりたいことがないし、何もできないけど、なんだかんだで20年は生きてきました。」ということはちょっとだけですが胸を張れそうなことでした。
実際、高校の同級生は高校卒業後、20歳になる前に白血病で亡くなったので、そういう事実も踏まえると「20年生きてみた」というのは自分にとっては重みがあったんです。
そして、だからこそ「20年生きたなら、もう生きたくないとか、生きるのを止めたいとか思わないで、とりあえず生き続けてみよう」と決めました。おかげで、今でもなんだかんだで生きています。たまに、もう生きたくないなーとか思ったり思わなかったりしながら。
20歳の自分には北極猿のロックンロールが勇気をくれた
とりあえず生きてみようと決意した20歳になったあとで、イギリスの音楽シーンに彗星のごとく現れたロックバンドがいます。そう、Arctic Monkeysです。
英語はよくわからないですけど、とにかく高速で若くて新鮮なロックンロールは魅力的でした。聞いていて楽しくて、平凡な日々に対して生きる活力を与えてくれました。
今聞いてもシンプルなのに何故か格好良くて、「20歳のときの1曲は?」と聞かれたら、間違いなくこの曲を選びます。
I Bet You Look Good on the Dancefloor
歌詞に出てくる1984年のロボットダンスやダンスフロアとかは知らないですけど(おそらくNew Orderの「Blue Monday」をなぞらえているんでしょうけど)、ボーカルのアレックスが淡々と歌う姿を見て、「同年代なのにすげーなー」と思いました。それは妬ましいというのではなく、素直に凄いなと思ったわけです。たぶん、少しは前向きに生きていこうと思えたんでしょう、20歳になった自分は。
そういった意味でも、北極猿たちには感謝しかないです。
おわりに
当たり前ですが、20歳になったからといって、人生が劇的に変わったわけでもないし、才能が降って湧いたわけでもないし、人生を賭けてやりたいことが見つかったわけでもないし、情熱が湧き上がってきたわけでもないし、大金を稼げるようになったわけでもないです。
良くも悪くも、就職して、必死に仕事して、結婚して、子供が生まれて、なりたくもなかったサラリーマンになりながら家族を守るためにただただ働いているだけです。
そりゃ、才能は欲しいし、お金は欲しいし、やりたいことを見つけたいし、とか思ったり思わなかったりしますけど、でも今がそれなりに幸せなのでまぁ良いんじゃないかなと思います。それなりに幸せじゃなければ、こんな記事を書いている暇もないでしょうし。
一つ言えることは、なんとか今まで生き抜いてきた、生きたくなかった自分がいたけど今まで生きてきた、それで色々良いことがあった、ってことかなと思いますし、それが「記憶に残っている、あの日」から始まったってことです。
本日はそんなところです。よっぺま(@yoppema)でした。